でも今日も、世界中の誰かがMacを開いて、
「俺にもできるかもしれない」と思っている。
Appleは、クリエイティブな自分になれる自信を、
今日も誰かに届け続けている。
でも今日も、世界中の誰かが缶を開けて、
「限界を超えてやる」と奮い立っている。
でも今日も、世界中の誰かがシューズを履いて、
「まだ諦めない」と走り出している。
病院やクリニックに、
医療機器や消耗品を届ける仕事だ。
創業から25年。
自分の営業力を武器にがむしゃらにやってきた。
気づけば社員は50人を超え、
売上も、取引先も、順調に伸び続けている。
でも、本当に、これでいいのか?
数字は伸びている。会社は成長している。
でも、俺の中の何かが、
置き去りにされている気がする。
便利さか?品質か?価格か?
それなら、競合でもいい。
俺の会社じゃなきゃダメな理由は、何だ?
朝礼で何度も言った。
社内報にも書いた。
壁にも貼った。
でも、現場で起きていたのは、
ベテランが若手を潰し、
新人が「ここ、なんか違う」と辞めていく光景。
久しぶりに早く帰って、家族で食事をしていた。
部屋を暗くし、
火のついたローソクが立ったケーキを運びながら
バースデーソングを歌っている瞬間。
スマホが鳴った。
「社長、どう対応すればいいですか?」
バースデーソングは一時中断。
息子は急いでケーキの火を消した。
暗闘で見えた息子の笑顔が一瞬で消えた。
取引先も従業員も大切だ。
でも、家族を犠牲にする必要はあるのだろうか。
自分を犠牲にする必要はあるだろうか。
俺がどうしても電話に出れなかったら
会社はどうなるんだ。
俺がいないと回らない会社は、
俺が死んだら終わる会社だ。
ジョブズが死んでもAppleは続いている。
創業者が関係なくなっても、
顧客に届き続けている。
俺の会社は、どうだ?
ミッションもビジョンも、一応は言語化してある。
でも、俺自身が、その言葉にしっくりきていない。
Appleの「Think Different」は、
世界中のクリエイターの背中を押し続けている。
Nikeの「Just Do It」は、
世界中のアスリートの足を動かし続けている。
俺の会社には、そういう言葉がない。
顧客の人生を変える「何か」が、
言語化できていない。
「お客様第一って、
具体的に現場は何を基準に判断してるの?」
答えられなかった。
「ディズニーもスターバックスもエルメスも、
『お客様第一』なんて言ってない。
『うちならどうするか』が先にあるんだ
ディズニーランドのキャストは、
『便利さ』より『ゲストが非日常の世界に浸れるか』
で判断している。
パーク全体が青空を背景にした巨大なステージ。
キャストはショーの一部として動いている。
創業者がいなくても、判断基準として魂が生き続けている。」
うちは、顧客に何を届けているんだ?
社員が迷ったとき、その軸で判断していた。
「どうやって、それを言語化したんですか?」
教えてもらったのが、
ブランドエクスペリエンス経営だった。
社長の頭の中にある判断基準を会社に宿す。
社員が「お客様第一」ではなく
「うちならどうするか」
で動けるようにする手法。
なぜ、この事業を始めたのか。
なぜ、この仕事を続けているのか。
俺は、顧客にどうなってほしいのか。
俺の会社に関わった人に、
何を持ち帰ってほしいのか。
やっと見えてきた。
俺が本当に届けたかったもの。
俺の会社でしか届けられないもの。
正直キツかった。
自分の内面と向き合うのは、
痛みを伴う作業だった。
2ヶ月目
変化が見え始めた。
判断を仰ぐ電話が、減った。
「社長、これでいいですか?」が、
「社長、こうしました」に変わった。
社員が、「うちならどうするか」で動き始めた。
そして、3ヶ月目。
俺は、初めて1週間の休暇を取った。
スマホの電源を切って、妻と旅行に行った。
「金曜に内視鏡を入れ替えたんだけど
生検鉗子が届いてなくてさ。
業者に連絡しても土日で誰も出ない。
月曜の検査、組織取れないかと思った」
「そしたら、あんたのとこの社員が
『呼吸器で同じ規格の使ってますよ。
まず何本か借りて、
追加は木曜にお届けしますね』って」
「俺より、うちのこと知ってるんだよ。
本当に俺たちのこと考えてくれてるんだなって」
「あんたのところと付き合ってて、よかった」
判断も指示もしていない。
でも、俺の想いが、社員を通じて、顧客に届いた。
「お客様第一」
朝礼で何度も言っていた。でも、届かなかった。
「うちならどうするか」
その軸を言語化したら、
俺の想像を超えた形で動き出した。
嬉しかった。誇らしかった。
同時に、少しだけ寂しかった。
もう、俺がいなくても届くんだ。
その寂しさの中に、言いようのない安堵があった。
顧客に俺の想いが形になって届くようになってから、
利益は後からついてきた。
追いかけていた頃より、むしろ伸びている。
当たり前だ。
感動した顧客は、また来る。
感動した顧客は、誰かに紹介する。
俺は25年間、順番を間違えていた。
それは10年後かもしれないし、
明日かもしれない。
でも、もう怖くない。
俺の会社は、俺がいなくても、
顧客に「何か」を届け続ける。
100年先、俺のことを誰も知らなくても、
この会社は、誰かの人生に関わり続ける。
誰かが「自分を信じよう」と思えた瞬間、
そこに、俺の魂がある。
本物のアートは、作者が死んでも残る。
100年経っても、見る人の心を動かし続ける。
俺は25年かけて、この作品を彫り続けてきた。
まだ完成じゃない。でも、やっと見えてきた。
100年先の誰かが俺の会社に触れたとき、
その人の人生が少しだけ変わる。
それが、俺の作りたかったものだ。